こぶのなかのしる

観た映画のこととか、アナログゲームのこととか、色々と与太話して暮らしています

【映画・雑記】フィクションとデフォルメのこと

痩せません。どうしてだ(ムシャムシャ)

 

痩せないので、映画とかで普段思っているような個人的なお気持ちの話をしたいと思います。ネガティブな内容ではないです。

 

 

 

 

「デフォルメ」っていう技法があります。

人間とかオブジェクトを記号化、簡略化して表現する手法で、たとえばわかりやすいものだと、ディズニー作品や、アニメなんかはそのデフォルメが強く使われていますよね。ドラえもんとかが写実的に人間を描画してたらなんだか気持ち悪いので(昔々のインターネットではリアルなドラえもんなどが流行っていました…昔々…)画面をスッキリ整理させて伝わりやすくするために、あるいは作品自体の雰囲気に合うようにデフォルメというのは使われます。

 

 

そして…

 

 

この「デフォルメ」という手法は、絵柄だけの話ではなく、現実と比べてある意味ではリアリティを割り切った「正確でない」省略や脚色も、フィクション作品における「デフォルメ」の一つだと思うんですよね。

 

たとえばパッと思いつく範囲だと

 

銃火器や運用の描写」
「カンフー、空手、弓道などの武道」
「アクションシーンなどにおける物理法則」
「警察や政治機関、会社などの組織構造」
「ジョックやナードのスクールカースト
「海外から見た日本文化」

 

などが特にデフォルメされやすい項目として見かけます。もちろん他にもいろいろ。こういうのって普段あまり意識してなくても映画やマンガ、アニメだとわかりやすく記号化して整理されていることが多いですよね。

 

 

そのリアリティを整理してデフォルメをするメリットや理由としてぼくが思いつくのは、

 

・こだわって描写する労力に対するコストパフォーマンスがよくない(たとえばごく一部の専門的な人にしか伝わらない、リアリティに到達するための深化が難しい、とか)

・その部分ばかり突き詰めて作ると話の組み立てやキャラクター造形の邪魔になる

・単純に記号化・抽象化されたことで整理されて、脳のリソースの余計な負担が減ってストーリーに集中しやすくなる

 

…ほかにもいろいろと実用的な効果を狙ってあえてリアリティを省略していることが多いと思ってるので、それを「突っ込みどころ」として作劇の落ち度にしてしまうのは野暮で軽率なのではないかなーと感じるところではあります。

最近だと「半沢直樹」なんか、作劇上のデフォルメがすさまじいことになってますが、あれはもうもはやつっこむこと自体が野暮で、あの激流に身を任せて楽しもうじゃないか、みたいな強い力を感じますよね。極端な例ですが、わかりやすい例でもあります。

 

 

反して、たとえばミリタリー作品や軍記モノにおける武器運用や戦争描写、音楽が題材の作品での楽器の扱いや演奏なんかは、作劇上リアリティが求められることが多いので(そうであった方がより楽しいですしね)、一概に何でもかんでもデフォルメすりゃあいいというものではないのですけども…

 

 

もちろん、メインテーマにかかる部分でなくとも時には「クリエイターの趣味趣向によってここは強烈にこだわりたい」という腕の見せ所でもあるので、「リアリティのある描写がされていないのでそこはマイナスポイント」というネガティブな見方ではなく、

 

「リアリティを感じない部分があるならばそれは作劇上のデフォルメだと割り切る」

「もしメインテーマではない部分での描写や設定に監督やスタッフのこだわりを感じたらそこには惜しみない賛辞を贈る」

 

というゆったりと余裕のある姿勢が映画鑑賞をより楽しく面白くするんじゃないかなーと思います。…ぼくの考え方の一つでしかないんですけど。どうでしょうか…?

 

 

 

 改めて書き出してみると、「そんなのみんな分かってるわ」と言われてしまいそうな内容でもあるんですけど、ぼくは昨今の「フィクション『突っ込みどころ』指摘至上主義」みたいなのがどうにも苦手で、その大きな潮流を見かけてしまうたびに悲しい気持ちになってしまうことから、こんな記事をしたためてみた、という次第です。

 

世の中のフィクション作品に対する視聴者の声がもっとやさしいものであってくれたらいいなぁ、と思います。

 

 

普段書きなれてないのでこういう記事を書くとエネルギー使いますね…

…エネルギーを使う…?カロリーがなくなる…痩せる…?!!